3才 | 隣のお姉さんの真似をしてピアノを習い始める。 |
小学校1年 | 九州の小学校に入学。
唯一の音楽情報源はテレビの"ザ・ヒット・パレード" で、モンキー・ダンスとか踊ってたヘンな子供だった。 |
小学校3年 | 横浜に転居。以後40年以上根を下ろすことになる。 |
小学校4年 | グループ・サウンズ・ブーム。
"ザ・スパイダース"のマチャアキが一番のお気に入り。
お陰で"ブーン・ブーン'なんて曲をこの頃から知ってました(原曲を知るのはかなり後ですが...) |
中学校時代 | 深夜放送とFENで洋楽にリアルタイムで触れ始める。
"よしだたくろう"(当時は平仮名表記だったのサ!)の「青春の唄」からフォーク・ソングに傾倒。その延長で"古井戸"のチャボこと仲井戸麗市に身も心も捧げる様になる。 |
高校1年 | チャボへの想いはますます募り、彼の好きな音楽を知りたいと思ったら、Soul Musicに辿り着く。
(彼の作った唄の歌詞の中に「良い唄だね、煙草とコーヒー...」とゆ〜のがある、全ての始まりはココにあったのです!)
初めてフォーク・デュオ結成。古井戸を仕込もうとするが、間もなく相方に逃げられる。 |
高校2年 | オフ・コース、荒井由美が好きなコとグループを組み直し、お互いの趣味を押し付けあいながらなんとか卒業まで活動を続ける。 "Weeping Harp Senou Blues Band" を生で観る機会があり、女性がピアノを弾いているのを観て、「カッコ良いな」と思う。 |
高校3年 | 受験勉強中、深夜に放映されていた"Soul Train" でB> Feebee Snow をたまたま観て、黒人のシンガーが生で唄う迫力にカルチャー・ショックを受ける。
受験を口実に、クラシックピアノを習うのを辞める。
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大学時代 | 気に入った音楽サークルがなく、何故か落語研究会に入る。
その為、金原亭馬生師匠を追っかけしていた縁でお近づきになった老婦人(役者、加藤武氏のご母堂だった...)から小唄を習う事になった以外は、4年間音楽とはかなり無縁の生活を送る。 |
1980年 | 学生時代に遊び呆けたツケで、父親のコネで某一流企業に何とか潜り込ませてもらい、自宅通勤の独身貴族時代が始まる。
渋谷にTower Recordsが初オープンした記念すべき年であり、Ray Parker Jr. を皮切りに、とにかくBlack Musicを中心にレコードを買いまくる。
映画 "Music Music" (by Village People) にハマって、Phelipe Rise に惚れる。
宮本典子(現MIMI)に惚れ込み、ライブに通いまくり、段々ソウル寄りの生活に傾いていく。
一方で、フツーのOL生活にはすぐ飽きが来て、社内にあった音楽サークルに参加するが、バンド・リーダーがボサノバ・マニア、女性ヴォーカル陣が唄いたがる曲が当時流行していたニュー・ミュジック(松任谷由美、竹内まりあetc...)、といった環境の中で気が狂いそうになり、自分がやりたい音楽をやっているバンドを求めて(自分でメンバーを集められる程のネットワークは当時全くなかった!)、手当たり次第に横浜在住のバンドのオーディションを受けたり、加入したりして、流浪の時期を過ごす。
OGとして行った大学祭で "South To South" を初めて見てブルースを思い出し、下北沢の "Stomp" に通ったりし始める。 |
1981年11月 | 当時横浜の石川町にあった「芽瑠璃堂」で知り合った人の紹介で、Blues Band "The House Rockers" に加入。
遂に安住の地を見つけたとゆ〜感じで、Muddy Waters を中心にシカゴ・ブルースを仕込まれる。 |
1982年 | "Wilson Picket"の来日が縁で、仕事上で知っていた青年が作ったバンド "Kilimanjaros" に掛け持ちで加入。
(余談ですが、この時のメンバーから、後にかなり芸能界で活躍するようになる人が二人も出ています。でも、そのせいかどうか、このバンドは自然消滅...) |
1983年11月 | Otis Clay の4回目の来日公演の横浜公演を友人が主催した縁で、Otis Clayを始め、Hi Rhythmのメンバー全員が "The House Rockers" のライブを観にきてくれたのみならず、飛び入りで参加してくれるとゆ〜夢の様な経験をする。
しかし、これを契機に、Hiなどのサザン・ソウルを演りたくなってしまったメンバーと、従来通りのブルース路線を守りたがったメンバーと間にいわゆる「音楽の方向性の違い」が生じてしまい、バンド分裂。ブルース路線派が脱退する。 |
1984年 | ヴォーカルが自然脱退してしまった為、新たに黒人シンガー Billy Woods (後の"Arkansaw Fats")を迎えるが、その他のメンバー・チェンジもあり、試行錯誤の日が続く。
この過程に於いて、最も人選に苦労したのがドラムスだったが、ようやく定着してくれるドラマーが見つかる(ちなみにコノ人が後に私の夫となる...世の中何が起こるか判りません!)。
テンプスの"Truly For You"が発売され、初めてテンプスを意識する。 |
1985年12月 | オリジナル・メンバーだったヴォーカル復帰。Hi サウンドを中心に、サザン・ソウルのレパートリーを増やしていく。
友人に誘われて行った Dells のコンサートで初めてコーラス・グループに目覚める。 |
1987年 | 或る日突然、テンプスの"To Be Continued"に収録されていた"Someone" を聴いていたら涙が出る。
その後、海賊版の状態で "MOTOWN on SHOWTIME" の映像を入手し、アリ様に決定的に惚れ込む。 |
1988年6月 | 初めての渡米。
当時消息不明だったアリ様を「見つけてくる!」と豪語し、シカゴ・ブルース・フェスティバルを皮切りに、5週間アメリカを飛び回る。
その甲斐あって、ロサンゼルスに残してきた手紙がきっかけで、本当にアリ・オリー・ウッドソンと知り合う。 |
1988年10月 | 前月にテンプスに復帰したアリ様が、テンプスと共に初来日。
仕事も何もかも放りだして、全公演追っかけをする。
お陰でMZAと横浜公演で"My GIrl"を唄わせてもらう。 |
1988年12月 | 2度目の渡米。ロサンゼルスのアリ様宅を訪問し、クリスマスに Bobby Womack のライブに連れてってもらう。
アトランティック・シティーでテンプスのNew Year's Eve Consertで年を越す。 |
1989年12月 | アリ様、テンプスと共に再来日。
この時は流石に全公演追っかけはできなかったが、クラブ・ガディルのライブで写真を撮りまくる。 |
1991年4月 | Otis Clayの来日公演に同行する機会を得る。
最終日、ちょっと飛び入りで"Love & Happiness"に参加させてもらう。 |
1991年6月 | Bobby Womackの来日公演で、ちょっと飛び入りで"Daylight"に参加させてもらう。 |
1991年10月 | Hi Rhythm の Teenie Hodges をスペシャルゲストに迎え、 The House Rockers 主催でO.V Wrightメモリアル・コンサートを敢行する。 |
1992年12月 | アリ様、テンプスと共に3度目の来日。
アリ様は12/19の公演の後に私のバンド The House Rockers のライブを観に来てくれ、飛び入り参加までしてくれる。 |
1993年6月 | 贅沢にも Teenie Hodges の立ち会いの元、 Al Green にメンフィスの彼の教会で結婚式を挙げてもらう。
その帰りに立ち寄ったロサンゼルスで、アリ様がお祝いにクラブでワンステージ、飛び入りショーをプレゼントしてくれる。 |
1994年4月 | アリ様に電話インタヴューをする。
この初稿はファンジン「ソウル虎の穴 vol.6」に掲載。 |
1995年 | 仕事の関係でバンドとの両立が難しくなり、バンド活動をやむなく一時停止する。 |
1997年7月 | アリ様、初の単独来日公演 with James Gadson Band。
滞在先のホテルで生後4ヶ月の息子を抱えながらインタヴューを取らせてもらう。 |
1998年6月 | アリ様、2度目の単独来日公演。
大阪公演のみだったので、大阪まで遠征する。
飛び入りで永年の約束だった"Someone"のバックの演奏を2ステージ演らせてもらう。 |
1998年12月 | アリ様のホームページ、オープン。 |
2000年7月 | アリ様&Richard Street が結成したコーラスグループ "Emperors Of Soul" のライブを観る為、息子同伴でL.A.渡米。 |
2000年11月 | アリ様出演のミュージカル "Sugar Daddy" 観劇の為、息子同伴でN.Y.渡米。
オフの日にAshford & Simpson 経営の "Sugar Bar" にてアリ様単独ライブがあり、息子@3才 "My Girl" をアリ様とステージで唄う。 |
2001年7月 | アリ様、Al McKay All Stars のリードヴォーカルとして来日。
東京公演&大阪公演に遠征する。 |
2002年4月 | アリ様、3度目の単独来日公演。
東京公演&名古屋公演に遠征する。 |
2007年11月 | アリ様、何とDennis Edwards 主催の "The Temptations Review" のメンバーとして来日@ Cotton Club。
アリ様の名前を冠した "Bar Ali Ollie" に御本人をお連れし、いたく喜ばれる。 |
2008年6月 | アリ様、4度目の単独来日公演@KENTOS。
銀座公演&新宿公演に行くも、営業モードのTemps Show で残念。 |
2008年11月 | アリ様、Dennis Edwards 主催の "The Temptations Review" のメンバーとして来日@ Cotton Club …の予定が体調不良=入院の為急遽中止となり、落ち込む。 |
2009年4月 | 孟母三遷で横浜本牧から京都宇治に移住。 |
2009年11月 | 縁あって"Master Piece"に参加、15年ぶりにバンド活動再開。 |