★The Drifters & The Blue Notes★

A:僕らはハンスヴィルとかディケーターの様なアラバマ方面で演奏してたんだ。
で、Bill PinkneyThe Driftersが町に来た。Bill Pinkneyって言うのはThe Driftersのオリジナル・ベース・シンガーなんだけど、彼が僕をドラマーとして雇ってくれたんだ。
J:え?! ドラマーとして?
A:そう、彼は僕を元々はドラマーとして雇ったんだ。でも僕はドラム・セットなんて何にも持ってなかったから、バンドの歌手として雇ってくれた。で、僕は彼等とロードに出て、ドラマーが病気の時はドラムスを演ったし、ピアノの奴が病気になれば僕がピアノを弾いたんだ。
J:何でも屋だったんですね。
A:そう。で、その後で僕はリード・シンガーに昇格した、ってワケ。
でも、僕が最初にThe Driftersに参加していたのは1974年か5年迄で、それから僕はThe Driftersを一度辞めて、James Brownの出身地、ジョージア州オウガスタに引っ越して、"Leroy Roid & Swinging Dukes"って言うバンドに加入した。これはJames Brownのミュージシャンが集まったバンドだったんだ。
それと、僕はカスタム・レコード会社って言うレコーディング・スタジオで働いたんだけど、そこでは市場に出回ってるあらゆる曲の"それ風に聞こえる"テープを作ったんだ。つまりヒット曲の再録音、物真似。だから僕はAl Greenの物真似もしたし、Chi-litesの物真似もした。売れてる曲は何でも物真似した。僕らはソウル・ヒット曲集のテープを売ってたんだ。だから僕の歌声の入ったのが、何年かは売られていたんだ。8トラックのテープでね。
(そう言えば昔そんなモノが車用にあったなァ...)
J:本当に?!!
そのテープ、今でも持っていらっしゃいますか?
A:ない、ない、ない。その会社、ワーナーやたくさんのレコード会社に訴えられちゃって、この商売を止めちゃったんだ。だから75年に僕はリード・シンガーとしてThe Driftersに戻ったんだ。
J:バックのミュージシャンとではなく、シンガーとして...
A:(日本語で)"はい" ハハハ......
で、その後彼等とは76年まで一緒に演った。
それからThe Temptationsに挑戦した。僕はオーディションを受けたかったんだケド、でも駄目だった。僕の外見、つまりギンギンに染めてた僕の髪がテンプスに合わない、って事で落とされたんだ。
J:はい、その話、聞いた事があります。
A:そしてその後、Teddy Pendergrassの代わりにThe Blue Notesに加入したんだ。彼等とは2年一緒に演った。


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